[カテゴリー:人はなぜ問うのか?]
ここからしばらく、茂木健一郎『脳とクオリア』の議論を紹介し検討しながら、意識とクオリアの発生について考えたいと思います。
#認識のニューロン原理
茂木は、ホラス・バーロー(Barlow, H.)が提唱した「認識のニューロン原理」を高く評価し、それを次のようにまとめます。
「認識のニューロン原理=私たちの認識は、脳の中のニューロンの発火によって直接生じる。認識に関する限り、発火していないニューロンは、存在していないのと同じである。」(茂木健一郎『脳とクオリア』日経サイエンス社、35)
(ちなみに、Barlowのこのアイデアは、前に言及したHohwyによれば、Helmhotzのカント的な心理学から来ているようです。Andy ClarkやHohwyは、このアイデアをcomputational neurosienceとして展開するという研究の流れに属します。)
茂木が言うようにこの原理は非常に重要だとおもいます。
「重要なことは、認識の内容を導き出すには、ニューロンの発火がどのようなパターンになっているかという情報以外は、いっさい何も仮定してはならないということである。」(同書、40)
「視覚、聴覚、味覚、触覚、嗅覚における物理的刺激と感覚器における変換過程がどのようなものであれ、私たちの心の中でそれぞれのモダリティが持つクオリアのユニークさは、それでは説明できない。モダリティの間の差は、あくまでもそれぞれのモダリティをつかさどる脳の中のニューロンの発火パターンの差によってのみ説明されなければならないのだ。」(同書、41)
たとえば、視神経が発火し、その信号が脳に伝達するとき、脳に伝わるのは、神経の発火だけです。その発火が視神経の発火から伝わってきているという情報は、発火の中には含まれていません。赤い光を受けて発火した神経からの伝達で発火していること、青い光を受けて発火した神経からの伝達で発火していること、という情報はそれらの発火の中には含まれていません。
脳にあるのは、発火のパターンだけです。脳は、赤い光を感じたこと、青い光を感じたこと、音を感じたこと、辛さを感じたこと、などなどの感覚の差異をすべて、発火のパターンから構成しなければなりません。これは、非常に重要な指摘です。
#認識におけるマッハの原理
茂木が提案する第二の原理は、「認識におけるマッハの原理」です。物理学に関する「マッハの原理」を認識に応用したものです。これらは、それぞれ次のように定式化されます。
「《マッハの原理=ある物体の質量は、その物体のまわりのすべての物体との関係で決まる。他に何もない空間の中では、ある物体の質量には、何の意味もない。》」(同書、76)
「《認識におけるマッハの原理=認識において、ニューロンの発火が果たす役割は、そのニューロンと同じ瞬間に発火している他のすべてのニューロンとの関係によって、またそれによってのみ決定される。》」(同書、77)
茂木は、このマッハの原理の後半に対応して、次のことも「認識におけるマッハの原理」に含まれるといいます。
「《ニューロンは、他のニューロンとの関係においてのみある役割を持つのであって、単独で存在するニューロンには意味がない。》」(同書、77)
(哲学には「知覚の因果説」というものがあり、それは、赤いという知覚は、赤い対象からの因果的な連鎖によって生じる、とみなすのですが、この二つの原理から、知覚と対象の間に最終的に因果連鎖があると言えるとしても、それは単純な単線的な因果連鎖ではないことが分かります。)